ボタン好きの原点は自我の芽生え
人生で一番古い記憶は保育園の入園式。
「はい、歌いましょう!」
先生が在校生に向かって園歌を歌うよう呼びかける声を聞いたとき、何故か急に自我が芽生えた。
何というか、今まで適当に生きてきたけど私って1人の人間なんだ!というのを、その場で急に認識した。
周りにも何人か子どもが座ってるけど、自我がなくてまだ思い出を記憶できないやつがたくさんいるんだと思ったら怖くて泣いた。
すぐに母が飛んできて、「大きな声にびっくりした?」と慰められたが、3歳の語彙力では言葉にできなかった。
それもなんか癪なので、この気持ちをずっとずっと覚えていようと思った。
何度か思い出しては言語化してきた一番古い記憶なんだけど、多分思い出したときにくっつけちゃったものもあるんだろうけど、
目が開いてるけど目が覚めたような
これまで何して生きてきたんだろう、私は私だった!
って感覚は、感覚だからこそ、変わらずに鮮やかに思い出すことができる。
母は「いや、ただ泣いてただけでしょ」って言うんだけど。
あの時握りしめてた制服のジャケットのボタンの感触も手に蘇ってくる。
それでなんとなくボタン好きなのかな。